まず↓が、本記事をギュッと短くしたまとめです。
本記事の短いまとめ
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ラベリングは、いま自分の中に起こっている感覚や思考や感情に言葉でラベルを貼る瞑想法。
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ポイントは「価値判断をしない」こと。価値判断できる言葉でラベルを貼ると、自己否定などマイナス効果になりかねないので注意。
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コツは「実況中継」。でも感覚より前に、言葉にしてしまいがちなので注意。
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ラベリングには限界があるので、あらかじめ知っておいた方が良い。
それでは具体的に見ていきましょう。
ラベリング瞑想のやり方
ラベリングとは、いま自分の中に起こっている感覚や思考や感情に言葉のラベルを貼る瞑想法で、呼吸瞑想や歩行瞑想などでよく使われます。
たとえば呼吸瞑想で呼吸の感覚に意識を向ける際に、お腹の「膨らみ」「縮み」といった形で頭の中で言葉にする方法がラベリング瞑想です。
一方あたまの中で言葉にせずに、呼吸の感覚にただ意識を向ける呼吸瞑想をラベリング瞑想とは言いません(まあ当然ですよね)。
歩行瞑想に関しても同様です。
ということで↓に、ラベリングをつかった呼吸瞑想のやり方を詳しく書いていますので、ぜひ参考にしてみてください。
(歩行瞑想のやり方については、近日中にアップする予定です)
※お腹の「膨らみ」「縮み」や「雑念」「戻ります」などの心のつぶやきが、ラベリングです。
ラベリング瞑想のポイントは「価値判断をしないこと」
ラベリング瞑想を行う際の大事なポイントは、「価値判断をしない」ことです。
例えばラベリング瞑想中に、人の足音が聞こえたとします。
もしこれに「人の足音」というラベルを貼った場合、そこから思考が広がってしまう可能性があります。
「そう言えば昨日、私が寝ているときにも人の足音が聞こえたな。あれが原因で、よく寝ることができなかったし。夜中にうるさくするのは本当にやめてほしい」とか。
そのため、できるだけ価値判断が入らないようなラベルにした方が良いです。
たとえばこの場合だと、「音」「聞いた」などが良いと思います。
そうすると、あなたが不快に感じてしまうような音に対しても、だんだん「ただの音」という感覚に近づいていきます。
実際、ヴィパッサナー瞑想の指導者である地橋秀雄氏も、このようにおっしゃっています↓
どんな色に対しても「見た」、どんな音に対してもただ「音」「聞いた」であれば、眼、耳に情報が接しただけの話です。
このような、個々の対象の中身には入らない形でのラベリングは、すでにあらゆる現象から撤退する方向を向いています。
ということは、心もすでにそちらを向いているわけで、これはそのまま欲や怒りを起こさない、煩悩を出さない訓練になるということです。
ラベリング瞑想のコツは「実況中継」
ラベリング瞑想をやってみた結果、イマイチしっくりこないという方へのコツとしては「実況中継」が良いと思います。
たとえば歩行瞑想であれば、足の上げ下げを1度だけラベリングするのではなく、「左足が上がっている、上がっている」といった感じで、くり返しラベリングを行います。
この「実況中継」は、ラベリングを行う際のコツとして割と広く知られているようなので、もし良かったら一度試してみてください。
でもあくまで、感覚優先にしてください。
「感覚があったものだけを言葉にする」ということです。
感覚がある前に、ラベルを貼るのはNGです。
というのも実況中継に限った話ではないのですが、ラベリング瞑想では「言葉にしばられる」という、よく陥りがちなワナがあるためです。
ラベリング瞑想の注意点は「言葉にしばられること」
先ほども申し上げたとおりラベリング瞑想とは、自分の感覚や思考、感情などに対し、できるだけ価値判断をしないような言葉でラベルを貼る瞑想法です。
しかし注意をしないと、感覚が起こる前にラベリングしてしまったり、価値判断するような言葉でラベルを貼ってしまう危険性があります。
感覚が起こる前にラベリングする
先ほどの実況中継のところで少し申し上げましたが、「感覚が起こる前にラベリングする」とラベリングがマントラのようになってしまいます。
本来の目的から大きく離れてしまうどころか、逆効果にもなりかねません。
価値判断できるような言葉でラベルを貼ってしまう
ラベリング瞑想は「今、ここ」を感じ取るための訓練です。
価値判断できるような言葉でラベルを貼ってしまうと、判断の入る余地を与えてしまうので、シンプルにラベリングが遅くなってしまいます。
また価値判断できるような言葉でラベルを貼ってしまうと、当然思考が割り込む可能性が高くなります。
その結果、思考をむしろ強化してしまうことにもなりかねません。
たとえば、マイナスの思考がでてきたままラベリングを続けると、さらにマイナス思考が増幅してしまうといった危険性です。
【ラベリングの限界】私が積極的にラベリングをしない理由
正直なところ、私はラベリング瞑想をあまり積極的に行っていません。
というのも私は、ある理由で身体感覚を鍛えてきたため、(少なくとも感覚に対しては)ラベルを貼る必要性をあまり感じていないのです。
(もし思考や感情を微細に観察しようとするのであれば、ラベリング瞑想が有効な方法だということは理解しているつもりでございます)
なので身体感覚を微細に意識できる人は、無理にラベリング瞑想を行う必要はないのではと感じている次第です。
実際、身体感覚を微細に意識できるため、「わざわざ言葉にする意味が分からない」という方は他にもいらっしゃるようです。
どこかのサイトでエピソードを拝見したのですが、失念してしまいました。
また先ほど「価値判断をしないことがポイント」と書きましたが、厳密に言えば言葉にしている時点で、思考はどうしても入ってしまいます。
なのでラベリング瞑想を行う際には、いずれ限界がくる可能性を考えておいた方が良いのかもしれません。
実際ラベリングが特徴の1つとして知られている「マハシ式ヴィパッサナー瞑想」においても、ラベリング自体は初期の導入としてのみ用いられ、その後離れるようです↓
ラベリングは一種の思考です。
つまり、思考を離れてあるがままを直観するという、ヴィパッサナーの根本に反する部分があります。
いずれラベリングの限界に直面することがある可能性を忘れないようにします。
以上です。
なお「他の瞑想のやり方も知りたい」という方は、↓をご覧くださいませ。
最後までご覧くださいまして、誠にありがとうございました。